法気会とは 
組 織
創始者、故西原瑞豊(にしはらずいほう)先生が、1977年(当時41歳の時)に、二意思世真会として、個人治療道場を開設されたことから始まった会であります。
目 的
『健康で裕福、長寿で枯死(こし)』
すなわち、「気」を良くする方法=気脈法=頭と心と体の甦(よみがえ)りの方法を以て、自分と家族、親族、友人、知人、そして世間の皆様が心身共に「健康で裕福」であり、長生きして、病気で寝たきりや長患いすることなく、死ぬ2、3日前まで元気で働けて、ぽっくりと、枯れるように死ぬこと、を目指しています。
気脈法とは
人間を心身一如(しんしんいちにょ=心も身も一体であること。)のものとして考える、困戯(悩み・苦しみ・不安・心配・痛み等)の癒しの術であります。
すなわち頭に智慧、心に統一(清浄)、身体に神経賦活(沢潤気化:たくじゅんきか)を獲得する方法であります。
気脈・気について
「人間は一切のものと気脈す。気脈とは因縁あるいは繋(つな)がり、繋がるの意にして、目に見えぬ天然界に存在し、森羅万象の創造にヒビキ(声、振動、空間、時、オーム、オーュ)を発したモノで、カミと呼ばれカムと言うあるいは神と言われるものに繋がり、人に繋がり、あらゆるものに繋がって生きる、その繋がりの具合に因って、人間の幸と不幸を分ける。
其の繋がりの具合は、大自然界の酷似相対物(こくじそうたいぶつ)の人間であるが故に、大自然界の摂理に逆らい、あるいは反応の間違いなければ、徳厚く功徳多にして好運なりて幸なり。逆らい、あるいは反応の間違いあらば、徳薄く功徳少にして悪運なりて不幸なり。すなわち森羅万象ありと言えども、逆順(ぎゃくじゅん=反対の順序)を犯すは只人間のみなり。此の思考、身体の善悪は惟、気の如何にあり。
気の如何は、大脳の眠れる(大脳睡眠)を持って、素直さと、和と敬を失いたるを持っての原因なれば、大脳の眠る(大脳睡眠)を覚醒(かくせい=目をさますこと。)し、素直さと、和と敬を取り戻し、超能力たる直覚力(ちょっかくりき=推理や考察によらず、瞬間的に物事の本質を悟る事。)を旺盛なさしめ、天然の理に順応する、頭と心と命を獲得する。すなわち、気の清浄化を計るを宗旨とす。以て気を正すの法は、頭と心と肉体の鍛錬を旨とするものなり。」(瑞豊先生著)
総 論
人間の幸、不幸は気脈(因縁)に始まる。気脈すなわち気門の萎縮(いしゅく)・閉塞(へいそく)、言い換えると悪因縁は人間の生に対する執着の我(が)より発する。
我欲は徳薄い為の思考に於いて生じる。いずれも不運なるものであり、哀れなるものである。其のいずれ生じるも、汚染血液に関わる気(根放射機能、雷)の陰性化に依るを以て、聞法、行法をなし、気門開導致せば、気、正に清浄なりて、心身闊達(かったつ=度量がひろく、物事にこだわらないこと。こせこせしないこと。)なるを信じての故に各之に名ず。